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教科書検定「沖縄戦の集団自決」日本軍の命令の記述削除
2007/03/31 23:18:23 書庫 全般
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来年から使用される高校の教科書検定で、歴史教科書の沖縄戦での県民の集団自決は、日本軍による命令であったとされる記述が削除されました。

これまでの歴史教科書の沖縄戦の集団自決の記述は、日本軍によって...という記述が殆どでしたが、今回の教科書検定で「(沖縄戦の)実態について誤解するおそれのある表現」という検定意見が付き、殆どの教科書から検定意見に沿って「日本軍の命令」が削除されることとなりました。

ちなみに、日本の教科書検定は「検閲」ではありません...また、国定教科書でもありません。(韓国・中国・北朝鮮等は国定教科書で、歴史教育においては、国家の意思が反映されている)

沖縄戦の集団自決...日本軍による命令だったのか...

阿鼻叫喚の戦場のいくつかの場所で...誰もが狂気の中にあった中で、日本兵による命令はあったかもしれない...また、日本兵に言われて、それが命令だと思った方々もいたかもしれない...鬼畜米兵に捕まると、生きてこの世の地獄を味わい殺される...と思って自ら命を絶った方々がいたのかもしれない...

..あったかもしれない...否、あったのでしょう。

でも、日本軍としての国家の意思としての明確な「命令」ではなかったと思います。

渡嘉敷島の集団自決が、曽野綾子氏が真相を究明したノンフィクション「ある神話の背景(1973年文芸春秋社刊)」で、明らかになりました。

この「ある神話の背景」が出版されるまで、渡嘉敷・座間味の集団自決が、日本軍の守備隊長らによる命令だったということが定説となっておりましたが、出版後..その真相が明らかになると、その定説が覆され、軍命令はなかっということが明らかになりました。

なぜ...当初..軍命令があったということになったのかは、あえてここでは書きません。

ここで、渡嘉敷・座間味で集団自決を目の当たりにした生存者の供述を紹介します...
それぞれ、その当時の島民の心境、心理、そして当時の状況を想像してみてください。
(平成18年3月24日 沖縄集団自決冤罪訴訟 第3回口頭弁論 原告準備書面より)

(渡嘉敷島の生存者の供述) 

大粒の雨が、私たちの行く手をさえぎっていましたが、今、目の前に浮いている山のような黒い軍艦から鬼畜の如き米兵が、とび出して来て、男は殺し、女は辱めると思うと、
私は気も狂わんばかりに、渡嘉敷山へ、かけ登っていきました。 
私たちが着いた時は、すでに渡嘉敷の人もいて、雑木林の中は、人いきれで、異様な雰囲気でした。
上空には飛行機が飛び交い、こんな大勢の人なので、それと察知したのか、迫撃砲が、次第次第に、こちらに近づいてくるように、こだまする爆発音が、大きくなってきていました。
村長の音どで天皇陛下万才を唱和し、最後に別れの歌だといって「君が代」をみんなで歌いました。

自決はこの時始まったのです。 
防衛隊の配った手榴弾を、私は、見様見まねで、発火させました。しかし、いくら、うったりたたいたりしてもいっこうに発火しない。渡嘉敷のグループでは、盛んにどかんどかんやっていました。
とうとう、この若者は手榴弾を分解して粉をとり出し、皆に分けてパクパク食べてしまいました。
私も火薬は大勢の人を殺すから、猛毒に違いないと思って食べたのですが、それもだめでした。
私のそばで、若い娘が「渡嘉敷の人はみな死んだし、阿波連だけ生き残るのかー、殺してー」とわめいていました。
その時、私には「殺してー」という声には何か、そうだ、そうだと、早く私も殺してくれと呼びたくなるような共感の気持ちでした。
意地のある男のいる世帯は早く死んだようでした。私はこの時になって、はじめて出征していった夫の顔を思い出しました。
夫が居たら、ひと思いに死ねたのにと、誰か殺してくれる人は居ないものかと左右に目をやった‥‥。

(座間味島の生存者の供述)

ほんとに不思議なものです。『死』そのものは何もこわくないのです。
けれども、自分たちだけ弾にあたって『死ぬ』という事と、みんな一緒に自ら手を下して『死ぬ』という事とは、言葉の上では同じ『死』を意味しても、気持ちの上では全く別のものでした。
その気持ちはうまく言えません‥‥
私は校長先生に一緒に玉砕させてくれるようお願いしました。
すると校長先生は快く引きうけてくれ、身支度を整えるよういいつけました。
「天皇陛下バンザイ」をみんなで唱え、「死ぬ気持ちを惜しまないでりっぱに死んでいきましょう。」
と言ってから、一人の年輩の女の先生が、だれかに当たるだろうとめくらめっぽうに手りゅう弾を投げつけました。
その中の二コが一人の若い女の先生と女の子にあたり、先生は即死で、女の子は重傷を負いました。

(座間味村慶良間の生存者供述) 

米軍の上陸後二時間程経った午後十時頃、追いつめられ一か所に集まった部落民は、家族単位で玉砕が決行されました。数時間前までだれ一人として想像もできなかった事が、 わずかの時間でやってのけられたのです。
私は父と一緒にお互いの首をしめあっている時に米軍に見つかり、捕虜となってしまいました。これまではどんなつらい事があっても、自分のすべてが天皇陛下のものであるという心の支えが、自決未遂のため、さらには捕虜になったため一度にくずれてしまい、天皇陛下への申し分けなさでどうすればいいのか全くわからず、最後の「忠誠」である「死」までうばわれてしまった米軍がにくらしくて、力があるなら、そして武器があるのならその場で殺してやりたい気持ちでいっぱいでした。
米軍にひきいられながら、道々、木にぶらさがって死んでいる人を見ると非常にうらやましく、英雄以上の神々しさを覚えました。それに対して、敵につれていかれる我が身を考えると情けなくて、りっぱに死んでいった人々の姿を見る度に自責にかられるため、しまいには、死人にしっとすら感じるようになり、見るのもいやになってしまいました。

私達は、現在の..溢れる情報の中で...平和な時代の価値観で、「軍の命令」がなければ、人間が自ら死を選ぶことがない...日本軍の一部の将校や兵士が命令して起きた悲惨なことだが、「戦争」を..「軍隊」を、この世から..沖縄から無くすためには、日本軍としての、国家としての「広義の」命令=強制があったはずだ...と思っていませんか?

紹介した供述を読むと、自決して亡くなっていった方々は、日本人として、うちなんちゅとしての誇りをもって亡くなった方々ばかりです。

私は、今回の「日本軍による命令」があったのか、なかったのかという議論...どちらか一方の話だけでは誤解を与える..という検定意見と同じ意見です。また、それは沖縄戦の本質とは違うところの話だと思います。

人間は、悲惨な戦争を繰り返しながらも、理想とする世界に向けて少しずつ進歩しています。次代を担う青少年達が、理想とする平和な世界を築いていけるよう、過去の「戦争」の本質を教えていって頂きたい。

現代の価値観で、過去の戦争を評価したり、「軍隊」があるから戦争が起こるのだという安直な平和教育からの脱却を願います。



コメント(4)

▼このメッセージへのコメント一覧

おじゃまいたします、うみばたと申します。
私は戦争を体験していない戦後生まれですが、自分の親や年配の親類から体験談を聞かされたことがあります。
当時の真相は私には分かりません、曽野綾子さんの本が真相の全てなのかも分かりません‥‥
職業軍人でもない民間人が自決を選択するということは、明確な軍の命令はなかったとしても、住民がそうせざるをえない状況に追い込んでしまったということは考えられませんか。
それを止めなかったのか、止められなかったのか、とても残念でなりません。
勉強不足で恥ずかしいのですが、私の個人的な今日の感想です。
2007/03/31 23:58:17 [ umibata ]

うみばたさんこんばんは。
以前にもコメント頂きましたよね、ありがとうございます。
戦後生まれの、普通のサラリーマンである私は、歴史家でもジャーナリストでもなんでもないので、真相はわかりません...
私達の現代社会の価値観からすれば、当時の状況は到底理解できるものではありません。
ただ、集団自決で亡くなった方々、戦場で..無くなった兵士も、特攻で無くなった兵士も、みんなそれぞれの「誇り」を持って亡くなっていった...
そうせざるを得なかった状況、そのように追い込んだ状況があったにせよ、それを今の価値観で評価するのは、亡くなっていった方々申し訳ない...でも、戦争で亡くなった方々の思いに報いるためには、二度とあのような戦争を起こしてはならないという確固たる意思をもった国民でいなければならないと思います。
その為には、戦場の悲惨な話と戦犯探しと責任の所在の話ばかりではなく、何故戦争が起きたのか、何故戦争にならなければならなかったのかを、東京裁判史観や右・左翼思想に捉われずに考えていかなければならないと思います。

これからもよろしくお願い致します。
2007/04/01 01:29:08 [ 身土不二 ]

ご丁寧な返信ありがとうございます。
戦場で亡くなられた兵士そして住民の名誉を傷つけるつもりは全くありません。
ただ、すべての方が「誇り」を持って亡くなっていったということが私にはよく理解できないのです。
いろんな立場の人がいて、いろんな死があったのではないかと思うのです。
右とか左とか区別することに興味はありません、歴史から学ぶことを怠ってはいけないということは、砥板さんのおっしゃる通りだと思います。
ありがとうございました。
2007/04/01 02:41:06 [ umibata ]

はじめて書き込みさせていただきます、数ともうします。集団自決が軍の命令によるものなのかについては、色々な情報に触れるたび分からなくなって、全てががそうではなかった、でも一部ではあったとしても不思議ではない、というのが今の捉え方で、その立場からいえば全て軍の命令であるという印象を与えるような記述はやはり適正ではないと考えます。
しかし、人々を集団自決に追いやったのが何だったのか?戦前の日本人を支配していた価値観や、情報不足による妄想や思い込みにより判断ミス、緊急事態に発生する集団や組織心理等、を明らかにしないと、過去から学び、未来に活かす歴史教科書としては不十分なのではと思います。
長々すみません。
2007/06/19 00:12:12 [ 数 ]


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