八重山島風ブログ  [PR]沖縄県民ニュースをチェック! こんにちは ゲスト さん。 ログイン・ブログをはじめる  
情報「やいま」
2006/04/28 19:11:04 書庫 全般
uppic

八重山の地域情報誌、「情報やいま」の今月号(5月号)の巻頭特集は…

(社)八重山青年会議所ですウケル〜

島のこと、島の人材育成のこと、島の産業活性化のこと…
本年度執行部と中山地区担当常任理事とで、語らせていただきました(^^;)

沖縄本島の本屋さんやコンビニでも売っているそうなんで、みなさん買って下さい!¥400円ですカモ〜ン

昨夜は、情報「やいま」の取材でお世話になった南山舎の柿本麻衣さん、「男たちの大和」上映でお世話になっている、シネマパニック万世館の支配人 明さんとで、ホテル日航八重山でお食事会を開催しました。

詳細はまた後ほどUPします…(できるかな?)


uppic

コメント(0)

地元紙に掲載
2006/04/27 01:32:55 書庫 全般
uppic

今日(4/26)の地元紙(八重山毎日新聞)の論壇

新石垣空港の早期開港を!〜2009年、日本の空は大競争時代に突入〜というタイトルで投稿した文書が掲載されました。

いつも僕をいじめているYJC事務局の玉城女史から「砥板芳行らしい硬い文章だねちゅ〜」と嫌みたっぷりで論評いただいた文章は下記の通りです。

八重山毎日新聞 4月26日(水曜日) 『論壇』 

全日空の石垣・宮古-本土直行便休止の決定を受け、(社)八重山青年会議所・(社)沖縄県建設業協会八重山支部青年部・(社)宮古青年会議所は、4月14日金曜日、東京にて全本空輸株式会社と国土交通大臣、衆議院沖縄第4選挙区選出の西銘恒三郎代議士、一昨年、新石垣空港設置許可にご尽力頂いた、参議院議員 鴻池祥肇代議士、松山政司代議士に対し、全日空の石垣・宮古-本土直行便の運行継続を要請致しました。

離島県の離島である八重山・宮古諸島は、人の交通の大部分を航空路線に頼っており、その中でも本土を結ぶ直行便は、地元住民の生活の足として大変重要な路線であります。また堅調に推移する観光客の増加により中核産業である観光産業及び地域経済の発展に寄与してきました。

今回の全日空直行便休止の決定により八重山観光へのイメージダウン、これまで利用してきた離島割引が那覇までしか適用されなく、本土へ渡る際には航空運賃負担が割高になるという懸念がありましたが、石垣市・石垣市議会・観光協会、そして私共の要請を受けた全日空は、4月21日金曜日に直行便を休止する代わりに、石垣-那覇間を増便し、石垣空港に航空機を夜間駐機させ那覇への始発便・那覇からの最終便運行の時間帯を拡大、離島割引は那覇経由であっても現行制度継続し航空運賃が割高とならないようにし、八重山・宮古への観光へのイメージダウンになるという懸念に対しては、八重山・宮古観光キャンペーンを大々的に展開し、イメージアップを図るという妥協案を持って参りました。

今回の全日空の提案には評価できる面もありますが、やはり地域住民にとっては直行便継続を強く要望していかなければなりません。

全日空の本土直行便休止の背景には、現石垣空港の滑走路の短さ、少ない駐機スポット、手狭なターミナル等々があり、企業であるが故の効率性という観点からは致し方ないという判断があります。

復帰後の国の高率補助による行政運営・社会基盤整備等の特別な政策が見直され、三位一体の改革により他の地方同様の厳しい状況となることが予測される中、八重山が真に自立していくためには、やはり観光産業を中核産業とした経済構造にしていかなければなりません。

2009年には東京羽田空港の再拡張事業により4本目の滑走路が供用開始となり、現行よりも発着枠が4割増・国際線の再開が予定されており、東京羽田空港を中心に日本各地の空港への運行計画を立てている各航空会社は、経営体力に応じて路線を拡大する本格的な競争時代に突入いたします。

2009年に激変する我が国の航空事情の中、新石垣空港の開港予定は2013年であり、本格的な空の競争時代に乗り遅れ、堅調に推移する観光が失速する可能性があります。

石垣市・沖縄県をはじめとする関係機関、地域住民で新石垣空港の2013年の開港予定を一日も早く前倒しし開港出来るよう取り組んでいきましょう。

■□■□■□■□■□■□■□■□■  以上掲載文 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

東京羽田空港の拡張事業による4本目の滑走路(D滑走路)の供用開始で、国際線の再開も大きなポイントの一つでしょう。日本の玄関口は新東京国際空港「成田空港」ですが、ご存知の通り成田空港は滑走路用地の収用に失敗し他国の国際ハブ空港と比較して、かなり見劣りするのは否めません。その為、石原東京都知事も提案している羽田空港の再国際化。羽田空港の再国際化により、近隣外国へは羽田空港が開港されるので、近隣諸国の航空会社が乗り込んでくるのは必至で、安価な国外旅行が今以上にブームになり、ただでさえ割高感のある八重山観光は大きな痛手を被る可能性も懸念されるところです…

かつて観光でブームとなった地域は、月日と共に廃れ、かつての華やかりし時代の建物が修繕されることなく朽ち果てていく寂しい状況となっています。目の前のブームに目が眩み、移り変わる時代のブームから取り残されてることに気付かなかった「イチ」地方とならないよう、私達は常に時代の移り変わりを的確に判断し、それに沿った地域経営をしていかなければなりませんね。



コメント(0)

ブロック大会実行委員会
2006/04/26 18:57:25 書庫 全般
uppic

昨夜は、第28回沖縄ブロック会員大会実行委員会全体会議を添石ブロック会長、渡具知副会長、宮里議長出席のもと開催いたしました。

連日連夜、深夜(明け方…)まで、昨夜のブロック大会実行委員会全体会議の準備で、本当に頑張っていただきました、みんなありがとう泣き

このサイトに来ていただいたJC関係者以外の皆様の為に、ブロック大会の紹介をさせて頂きます。

現在、青年会議所(JC)は、日本各地に720箇所あり、それぞれをLOM(Local Organization Memberの略)と称しています。その720箇所のLOMから出向するメンバーで構成されているのが、(社)日本青年会議所でありNOM(National Organization Memberの略)と称され、世界112ヶ国にある国際青年会議所(JCI:Junior chamber International)の一員です。

(社)日本青年会議所では、全国のLOMを各都道府県単位で「ブロック協議会」という組織を構成しており、現在、沖縄には10LOMがあり、その10LOMが加盟しているのが「沖縄ブロック協議会」です。

沖縄ブロック協議会では、年に一度、各LOM主管による大会を開催しており、今年はここ八重山JCが第28回目となるブロック大会員大会を主管することとなっており6月10〜11日の間、石垣全日空ホテル&リゾートと市民会館を主会場として開催致します。

しかし…僕のブログって「日の丸」が出てくる画像多いですよね…(汗)


uppic uppic

コメント(3)

海の武士道
2006/04/23 01:49:11 書庫 全般

私の高校の先輩でジャーナリストの惠隆乃介さんが取材した話です。 

「海の武士道」平成17年9月11日(日) 産経新聞

八月中旬、横須賀から、海上自衛隊の護衛艦「いかづち」が、テロと戦う英海軍などの支援のため、インド洋に到着した。日本海軍の同名の駆逐艦「雷」が、第二次大戦中、英海軍艦艇の乗員四百二十六人を救助したことを知る人は少ない。

元海自二尉で、日英の関係者に取材した惠隆之介(51)によると、救助はこうして始まった。

昭和十七年三月、英駆逐艦「エンカウンター」など二隻は「ジャワ沖海戦」から離脱して航海中、日本海軍に撃沈され、乗員約四百六十人は二十四時間、漂流を続けていた。

多数の救命筏(いかだ)を発見した「雷」は救難活動中の国際信号旗をマストに掲げ、艦長の工藤俊作少佐=当時(41)=は艦を停止するため「後進いっぱい」を下令する。

前日には同じ海域で日本の輸送船が潜水艦の攻撃で沈没していた。停船さえ危険な状況で、工藤はさらに号令をかけた。

「(周辺警戒用の)一番砲だけ残し、総員、敵溺者(できしゃ)救助用意」

「雷」に泳ぎ着いた漂流将兵に艦上から竹ざおを差し出すと、相当数がつかんだはずの手を離し、沈んでいった。日本側水兵は「波の輪が静かに広がっていった。白い軍服の色が目にしみた。ほっとして、力尽きたのだろう」と振り返る。
惨状を見かねた水兵が独断で飛び込み、英将兵の体にロープを巻いた。下士官が「命令違反だ。飛び込むな」と叫んだが、さらに二人が飛び込んだ。工藤は「重傷者は起重機を使い、網でつり上げろ」と命じた。

 「エンカウンター」の中尉だったサムエル・フォール(86)=後に駐スウェーデン大使=は「日本人は野蛮と聞いていたので、機銃掃射を受けるのではないかと恐怖を覚えた」と、惠に語った。

二百二十人乗りの「雷」は、その倍の敵将兵を収容した。重油で真っ黒になった捕虜の体を貴重な真水でふき、服や食料を支給した。甲板に日よけの天幕を張ったため、周辺警戒用の一番砲も使えなくなった。

戦時国際法の専門家で日本赤十字社の井上忠男参事(53)は「大戦中の戦闘海域で、これだけの偉業を完遂したのは世界の海軍史上、稀有(けう)な人道行為」と言い切る。

「奇跡。夢ではないかと何度も手をつねった」というフォールら英軍士官に、工藤は流暢(りゅうちょう)な英語でこう話したという。「諸官は勇敢に戦われた。今や日本海軍のゲストである」

工藤は明治三十四年一月、山形県屋代村(現高畠町)で生まれ、大正九年八月、海軍兵学校に入校した(海兵五十一期)。当時の海軍兵学校は英国人教師による英語や紳士としての教育が徹底された。工藤自身、在学中に英国人女性と文通したこともある。

一方、当時海軍兵学校の校長だった鈴木貫太郎中将(終戦時の首相)は「武士道」にこだわり、日露戦争で敗軍の将ステッセルの扱いに際し、「武人の名誉を保たせよ」と言われた明治天皇の故事を生徒に語り継いだ。

惠は「精神的に豊かな良き時代に、良き教育を受け、良き軍人に育った結果、奇跡の救助劇が生まれた」と語る。

おおらかで温厚、一八五センチの偉丈夫だった工藤のあだ名は「大仏」。工藤を慈父のように慕い、「艦長のためなら、いつ死んでも悔いはない」と公言する乗員らの存在も奇跡を助けた。

しかし、工藤は戦後、この事実を語らなかった。惠はその理由を「職務を忠実に果たし、己を語ることを潔しとしないサイレント・ネービー(沈黙の海軍)精神の発露」とみる。工藤の親族や「雷」乗務士官の遺族は惠の取材に「そんな立派なことをしたのか」と、一様に涙し、工藤の夫人ですら救助劇を知らずに亡くなっていた。

工藤が艦長を退任した後の昭和十九年四月、「雷」は西太平洋で米潜水艦の攻撃で沈没、乗っていた約二百六十人全員が戦死した。この悲劇が「奇跡の救助劇」を封印したのかもしれない。

終戦を故郷で迎えた工藤は三十年、埼玉県川口市に移り、夫人のめいが開業した小さな病院で事務の仕事をしていた。自衛隊や大企業の招きにも応じず、兵学校のクラス会にも出席しなかった。

五十四年一月、最期を迎えつつあるとき、見舞いに駆けつけた兵学校同期の二人に工藤は、こう言って静かに目を閉じた。「貴様たちは大いにやっている(社会で活躍している)ようだが、おれはウドの大木だったなあ」

工藤はなぜ沈黙を守ったのか。平和な時代を前に散華した戦友らに対する「けじめ」だったとする見方もある。艦橋で工藤が、ほおを伝う涙を拳でぬぐう姿を目撃した部下がいる。兵学校同期の戦死の報に接した直後のことだった。

詳細は今年6月、「海の武士道」として出版される予定。

サムエル・フォール卿 

 フォール卿は昭和62年、工藤の功績について米海軍機関紙に寄稿した。平成4年、ジャカルタで行われたジャワ沖海戦50周年記念式典でも工藤の功績を「日本武士道の実践」とたたえ、8年には自分史の巻頭に「帝国海軍中佐工藤俊作にささげる」と書いた。10年には英タイムズ紙に工藤の実名をあげて投書し、この間、工藤の消息を探し続けたが、所在不明のままだった。フォール卿は「人生の締めくくりに」と15年に来日し、海自観艦式で護衛艦「いかづち」に乗艦した。

*****************************************************

工藤艦長が乗っていた駆逐艦「雷」は、連合艦隊第1艦隊第1水雷戦隊に所属しており、その第1水雷戦隊の旗艦は「阿武隈(あぶくま)」でした。

先日、私達が乗船見学した海自護衛艦「あぶくま」は、その第1水雷戦隊旗艦の名前を受け継ぐ艦です。


uppic

コメント(0)

領土・領海問題委員会
2006/04/22 10:51:53 書庫 全般
uppic

(社)日本青年会議所 領土・領海問題委員会

昨日は、(社)日本青年会議所 領土・領海問題委員会の門崎由幸委員長はじめ委員の皆さんが石垣島を訪れました。

本年度(社)日本青年会議所 領土・領海問題委員会では、「海洋国家日本」 真の姿を! 〜いま、「海洋国家」日本が危うい〜をスローガンに、我が国が抱える、領土・領海問題について、海洋国家・日本のとるべき海洋政策の研究並びに発信や北方領土問題の研究と解決に向けての取り組み、竹島・尖閣諸島の領土問題の研究と解決に向けての取り組みを行っております。

今回は、尖閣諸島を行政区域に抱える石垣市で、尖閣諸島に関わる歴史的資料の収集や研究材料の資料収集で訪れています。

今週は、我が国の領土にも関わらず韓国が実効支配している『竹島』で、海保の調査船が海底調査を行う事で日韓関係が緊迫していますね…

『竹島』は、江戸時代から日本人に知られていて、アワビやアシカ等の魚猟を行っていましたが、戦後の動乱期であった昭和27年(1952年)の李承晩ライン宣言にて、韓国が領有権を主張、現在に至るまで実効支配を行っています。

そして、尖閣諸島は、1880年代後半から1940年にかけて日本人が建設した船着場や鰹節工場などがありましたが、現在は無人島となりました。1971年に海底地下資源の可能性が確認されると、島嶼の領有権をめぐって、中華人民共和国・中華民国(台湾)が領有権を主張。中華人民共和国発行の社会科地図では、海底地下資源が確認される以前の1970年の南西諸島の部には、はっきりと「尖閣諸島」と記載され、国境線も尖閣諸島と中国との間に引いてありましたが、海底地下資源が確認された以後の1971年の南西諸島の部では、尖閣諸島は"釣魚台"と記載され、国境線も日本側に曲げられています。これは中国の東シナ海への覇権確立と、資源の独占、収奪という目論見を如実に表しています。

海洋国家である我が国は、領土領海問題をいくつか抱えていますが、政府は、このような問題をもっと教育現場で次代を担う子供達にもしっかりと教え、私達国民が正しい現状認識を持てる政策を行うべきだと考えます。政府は、我が国に「領土・領海問題はない」との事を言っています。我が国の領土なんだから、他国が領有権を主張しても聞き入れないとの姿勢は、それはそれで理解できますが、「臭い物には蓋をする」的で、そうすることでかえって国民の領土領海問題に対する認識が失われて無関心になっていくのではないかと思います。

我が国は、台湾・中国・韓国等の隣国とは、これから永遠にわたって付き合っていかなければなりません。臭い物には蓋をし、目先の経済的な利益のみで現在の友好関係を続けていくと、いつかどこかで取り返しのつかない衝突をおこすのではないか?そうならない為にも、主張すべきことはしっかりと主張し、譲れないものは譲れないとハッキリものを言い、問題を解決するには幾百年かかろうと本音で付き合っていくことが必要かと思います。




 


uppic

コメント(0)


[ 次の 5 件を表示 ]